全国水めぐりの旅

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目次

<敦賀の名水めぐり> 2012.3.14

<東海道「品川宿」から大森と大井の名水をめぐる> 2011.7.7−8

善通寺市の名水> 2006.7.28、8.2

<JR高山線水めぐり> 2003.7.29−30

<東京の目黒不動尊> 2003.3.25

<荒川の旅> 2001.3.6

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<敦賀の名水めぐり> 2012.3.14

氣比(けひ)神宮は春日大社、厳島神社と並ぶ「日本三大木造鳥居」の一つとして知られている。その境内に大宝2(702)年の造営の際に湧出したのが始まりだという「長命水」がある。御祭神が無病息災や延命長寿の神であることから名付けられたそうだ。滔々と水が流れ出ている亀石は苔むして、その歴史を感じさせる。

国道8号線沿いの真下に「泉のお清水」(敦賀市金ヶ崎町)がある。天筒山の麓に位置し、約600年前の戦国時代に農民たちに知られて以来、枯れることがないそうだ。「泉延命地蔵」前の井戸は蓋がされて柄杓で水か汲める。さらに1m×3mほどの底に敷石された水槽に流れ込んでいる。住民の生活の場であった。

金崎宮から遊歩道を歩くと天筒山頂を経て中池見に出る。袋状埋積谷(ふくろじょうまいせきこく)という特殊な地形で、深さ40m以上の泥炭層が堆積し、数万年にも及ぶ気候変動の歴史が記録されているという。その広さ約26haの湿地では、豊かな生態系が保全され、茅葺の農家を移築して「里山」が復元されている。かつては大阪ガスによる開発計画があったが、自然保護運動が実って保存整備された。

国道8号バイパス線の東方の山裾に「樋の水」(敦賀市吉河)がある。山からの伏流水で水量は豊かだ。パイプから水を汲めるが、2リットルのペットボトルはすぐに満杯になる。お堂には家内・交通安全などの御利益があるという地蔵が鎮座している。明治22年頃の宅地造成の際に掘り出された12体の地蔵を安置したところ湧出してきたという。内科病、皮膚病、眼病などに効くそうだ。

敦賀市内には敦賀原発(日本原電)がある。万が一、福島第一原発事故のようなことが起これば、これらの名水や湿原はもとより琵琶湖も汚染されてしまう。

 

<東海道「品川宿」から大森と大井の名水をめぐる> 2011.7.7−8

 品川駅東口から南へ10分ほど歩くと、釣り船や屋形船が舳先(へさき)を並べ船溜まりがある。豊富な水揚げを誇り海苔の主要な産地だった「品川浦」の面影を残している。その南にある利田(かがた)神社(東品川1)には約200年前に品川沖に迷い込んで捕えた鯨を供養した「鯨塚」がある。聖蹟公園は品川宿の本陣があったところだ。ビルに囲まれた都市公園の中に井戸跡がある。品川宿は東海道五十三次の第一番目の宿場で、江戸時代後期には約1600軒、7000人が住んでいたという。本陣は大名や勅使が休息・宿泊する旅宿だった。

立会川河口の堤防には釣り船の船だまりがある。対岸は勝島の倉庫群だ。浜川橋から下ったところに土佐藩の鮫洲抱屋敷跡と浜川砲台跡の石碑(東大井2)がある。対岸の壁には坂本龍馬が描かれている。かつて土佐藩の物資の荷揚げ場で、坂本龍馬も警護役として近辺を歩いたそうだ。

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「品川浦」               聖蹟公園               立会川河口

京急大森海岸駅の南東に少し歩くと磐井神社がある。その前の歩道に大田区指定文化財となっている石の井形と碑がある。社名の由来となった「磐井の井戸」跡で、元々境内だったのが第一京浜国道(旧東海道)の拡張で現在のようになった。かつては東海道往来の旅人に利用され、霊水や薬水とされ、「この井戸水を飲むと、心正しければ清水、心邪ならば塩水」という伝説がある。

JR京浜東北線大森駅から南西へ20分ほど歩いた閑静な住宅街の一角に「山王花清水公園」がある。花木が植栽された崖裾に石垣の池に湧出し、小祠の「御神水」になっている。『東京の湧水せせらぎ散歩』によれば、水温20.0、PH6.8。この湧水はさらに中島に厳島神社が鎮座する弁天池に流れ込んでいる。

JR大森駅東口から大井方面の線路沿いにある大井水神公園を通り抜けたところに品川区指定文化財の水神社(南大井5)がある。池に湧出していた地下水はそばに柳があったことから江戸時代から「柳の清水」として知られ、村人の飲料水や水田に利用された。その水の恩恵に感謝し、日照りの際には雨乞いするなど水の供給を祈願して貞享2(1685)年に九頭龍権現(くずりゅうごんげん)を祀ったという。明治以降、水葉女命(みずはのめのみこと)に祭神が変わったが、雨乞いの風習は続いたそうだ。しかし昭和50(1975)年頃に地下水が枯渇して、今ではポンプで汲み上げている。苔むした石垣に滴り落ち、石の井形の井戸から流れ出す池には錦鯉が泳いでいる。

 JR横須賀線西大井駅へ向かう住宅街に品川区指定文化財の「大井・原の水神池」(西大井町3)がある。武蔵野台地末端部にある遊水池で、原・出石などの農家が出荷する野菜の洗い場だった。水の恵みに感謝した農民が祀った水神社はかつて眼の神様とされ、池の水を持ち帰り、治癒すると池に鯉を放ったそうだ。「水神池」と刻まれた石碑と「鯉塚」があり、その石垣の下の池には亀や錦鯉がいる。

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山王花清水公園            大井の水神社                    大井・原の水神池

 

善通寺市の名水> 2006.7.28、8.2

JR善通寺駅の南東に歩いて約5分のところに、「さぬきの名水10選」に指定される「二頭出水(ふたがしらですい)」がある。その字句のごとく2か所ある湧水が合流している。透き通ってコイが群れている。古くから周辺の農業用水となり、善通寺市の水道水源にもなっていたという。

774(宝亀5)年に讃岐で生まれた空海(弘法大師)の生誕地とされるのが四国霊場八十八ヶ所の第75番札所善通寺である。2006年には807(大同2)年の創建から1200年を迎えた。その境内には「産湯の井戸」があり、出産、病気に霊験があると伝えられている。空海が唐に渡る際、「御影の池」に映った姿の自画像を母に差し上げたといわれている。

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二頭出水   2006.7.28      御影の池   2006.7.28     永井の清水  2006.8.2

JR金蔵寺駅の西に約15分歩いたところに「永井の清水(ながいのしみず)」がある。北方の下流の農業用水になっているという。しかし湧水が乏しいのか淀んでいる。水辺へ下りる石段があることからかつては洗い場にもなったのだろう。

 

<JR高山線水めぐり> 2003.7.29−30

 美濃太田を過ぎると、JR高山線は飛騨川を縫うように走っていき、車窓からその険しい渓谷を眺めることができる。飛騨川は北アルプスを水源とし、沿線に「名水」が随所にある。

 

下呂温泉は有馬・草津と並んで日本三名泉とされており、平安時代に開湯されて以来千年以上の歴史ある温泉だ。その源泉は飛騨川(益田川)の河川敷の地下にある。泉質はアルカリ性単純温泉でリウマチや神経痛などの効用があるという。下呂大橋のすぐ下流の河川敷に墳泉池があって、無料で温泉が楽しめる。露天風呂で常連の地元の男性がいた。泉温が熱めで湯船にはつかりにくい。しかし、和気藹々と語り合って身も心もスッキリするようだ。

温泉町から少し離れた「湯けむりの森」の中に「湯けむり名水」がある。崖からの湧水を竹筒で受けていた。舌をつけてみると、さっぱりした味だった

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噴泉池                           天王水

飛騨萩原駅と上呂駅のほぼ中間の線路沿いに、岐阜県の名水に選ばれた「天王水」がある。「千年来一度も濁ったり枯れたことがない」といわれている。実際まさにそのとおりだった。楕円形の石組みでできた小さな泉は、透明で崖からじわじわと湧き出しているようだった。辺りは列車が通り過ぎると、林からセミの声が聞こえるだけの静寂さが漂っていた。

 

 高山市内に合掌造りの茅葺屋根の古い民家や生活道具を集めた「飛騨民俗村 飛騨の里」がある。その中に山間から湧き出している「延命水」がある。昔はこのような水場を命の水として崇めていたのだろうか。

里の中には水車だけでなく、水を利用して天秤の応用で米や稗を精白する「バッタリ小屋」がある。バッタリとはこの地方で唐臼のことだ。水は生活の動力源でもあった。裏を返せば、それだけこの地方が水に豊富だったことでもある。

 

 「飛騨の里」の隣の「飛騨開運乃森」には、大木を一刀彫りで施した七福神が祭ってある。その境内に「福徳の水」がある。神泉堂のある7000uに及ぶ自然林からの湧水を導水していている。福神の啓示によって1700日目に湧き出したと伝えられている。その水は七福神に供えられているという。私も「福徳」に与ろうと、ペットボトルに水を積めた。すると容器が曇った。それほどひんやりした水だった。

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「飛騨の里」の水車              福徳の水             白雲水

高山城址の城山公園の中に岐阜県の名水五〇選とされている「白雲水」がある。本丸があったこんもりした丘から湧き出している。水はさっぱりした味だ。その昔は城を守る兵士らの水場にもなったのだろうか。

 

<東京の目黒不動尊> 2003.3.25

JR山手線目黒駅から西へ歩いて10分ぐらいのところに目黒不動尊がある。約1200年前に開祖の慈覚大師が独鈷を投げると滝泉が湧き出したところから「滝泉寺」ともいわれる。

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この付近は台地の突端で湧水や池が多い。本堂のある台地の崖から水が枯れることなくとうとうと流れ落ちる滝は「独鈷の滝」といわれ、不動行者の水垢離の行場として利用された。江戸時代には、春の桜、夏の滝しぶき、秋の紅葉、冬の雪と四季折々の風情を求めて、江戸近郊の行楽地として栄えた。今でも桜の咲く頃になると花見客で賑わうそうだ。あいにく今日は雨模様で参拝者は少なかったが、それも風情があった。

崖の上にある本堂へ登る石段の脇から水が湧き出している。「衛生上、万全を期するため煮沸してお飲み下さい」とただし書きがある。この水を求める人がいるのだ。

 

<荒川の旅> 2001.3.6

 秩父山系を源流地とする荒川は、埼玉から東京へと流れていく。

 まず訪れたのは埼玉県北本市にある北本自然観察公園だ。荒川沿いにあり、荒川と一体して整備されていてかなり大きい。公園内には自然学習センターがあり、バードウォッチングができる。池は人工的に造られたようであるが、林はかつて雑木林が都市化から守られて、そのまま残された印象だ。

 林を通り抜けると、一般道路をはさんで、荒川河川敷が広がる。だが川の水は見えない。それぐらい河川敷が広い。植生の保護ということで河川敷は立ち入り禁止となっている。訪れた初春の頃は立ち枯れた草が広がるだけで殺風景だった。しばらくすれば、緑が広がり野鳥もさえずるようになるのだろう。

 荒川河川敷沿いにある横田薬師堂の崖下の方から湧水が湧き出している。これは雨水が溜まったもので、1991年の調査では262リットル/分、377トン/日の湧出量があり、年間の水温は15℃で安定しているそうだ。崖の下から、もわっーと湧き出した水はほのかに湯気が立ち、触ると暖かかった。

 

 次に東京都北区にある荒川知水資料館へ訪れた。ここは、荒川の歴史、現在を学べる施設だ。3階建ての屋上からは荒川を望め、かつての荒川(今の隅田川)と水門で分水されている様子がよくわかる。明治期に付け替え工事が始まり、昭和期に完成した。洪水を防ぐためにコンクリートの護岸で覆われ、水を速く、ひたすら海へと流す役割を担わされた。しかし最近では、下流でも豊かな生態系を維持するためのビオトープ造りが地域住民とともに計画されている。