<渇水を乗り切るには>
「酷暑」とか「猛暑」といわれるほど暑かった夏もようやく終わりを迎えたようだ。8月21日に紀伊半島に上陸した台風11号がこの夏を連れていってくれた。台風11号は各地に少なからぬ被害をもたらした反面、恵みの雨ももたらしてくれた。
関東では利根川水系のダムの貯水率が回復した。琵琶湖の水位の回復も著しかった。奈良県営水道の水源地となっている大迫ダムや室生ダムの貯水率が一気に回復し、取水制限も解除された。奈良県民は胸をなでおろしたことであろう。
水は必要不可欠だ。21世紀は石油から水の争いが深刻になるといわれている。日本では今のところそんな事態は想起されていない。阪神大震災ではライフラインが断絶したが、近隣の自治体からの給水車のお蔭で、不便を強いられても「水争い」は起こらなかった。しかし、水そのものがない事態ともなれば・・・。そんなことを考えれば、少しでも水を貯めておくダムが多くあったほうが良いと考えられるかもしれない。しかし、それは違う。
多くのダムは利水機能と洪水調整機能を兼ねている。洪水調整機能を高めるには、梅雨前など大量の雨が予想される前に放水して、貯水率を下げておかなければならない。しかしその予想がはずれた場合、放水された水の取り返しはつかない。それがそのまま渇水になる。逆に大量の雨が降ってダムが満水となれば、一気に放水されて下流に洪水をもたらすことがある。台風11号が紀伊半島南部を流れる古座川の下流で起こした洪水は、それが原因であるといわれている。要するにダムの調整は難しく、人為的被害を及ぼすのだ。
その昔、奈良盆地は雨に乏しく、水争いを防ぐため「番水制」という仕組みがあった。決められた時間だけ自分の田んぼに水を引ける、というものだ。その名残の「番水の時計」が御所市に残っている。
水争いが21世紀の日本とならないためには豊富な水が欠かせない。それには、まずダムありきではなく、天然のダムである森林の保全、都市での雨水や下水処理水の再利用、現代の番水制ともいえるような水利権の弾力的な融通システムづくりなど、総合的な水資源の開発を行うことだ。
(2001.8.31)
<水道料金が上がっていく>
「節水しよう」と呼びかけるステッカー等よく見かけるが、実行する人はどれほどいるのだろうか。渇水になれば嫌でも節水することになるが、平時では料金のことさえ意識されることは少ない。自由化で電気代や電話代が下がっているのに対して、水道料金はじわじわと上がっている。水道代のことなんか考えて使うなんてケチくさいと思われているのかもしれない。
大阪府では平成12年10月から水道料金を74円50銭から88円10銭へ引き上げた。カビ臭さをとるために導入した高度処理施設の維持管理費用がかかるのと、平成10年に完成した日吉ダム(京都府)の償還が始まったために費用負担が高まることを、理由に挙げている。それに伴って、市民への水道料金を引き上げたのは42の市町村のうち26にものぼる。水道事業は市町村によって運営されている。府営水道からの受水量、自己水源量によって市民への水道料金は異なる。同じ琵琶湖の水だからといって、料金も同じとは限らないのである。
水道事業は需給バランスの将来予測を考えて計画が立てられている。2001年2月、太田大阪府知事は将来の水需要を下方修正した。それに伴って、国土交通省が計画してきた紀伊丹生川ダム(和歌山県)の建設が中止となった。さらに大阪府が事業主体で給水量7万㎥/日の計画されている安威川ダムの建設の是非も問われ始めている。
2006年には人口減少へ向かうと予測され、今後の水需要の伸びは期待できない。ダムなどの水資源の開発にかかった費用は、その水が必要なくなっても、負担はいつまでも続くという状況が考えられる。将来、大阪府の最北部に位置する能勢町への水供給の開始や生活の変化によって更なる水需要の増加が見込まれるかもしれない。また、生命に必要不可欠な存在の水はいくらあっても余りあるものかもしれない。そのための「水は安いもの」といえる時代ではなくなるのかもしれない。
その日のために今のうちから「水は大切なもの」という意識で節水する行動を始めたい。
<垂れ流しの下水道>
「大都市の下水の一部が雨天時、未処理のまま海に流れ込んでいることが明らかになった」と、6月14日付の朝日新聞で報道されていた。何をいまさらという感じだ。こんなことは下水道事業者が声高にしないだけで、周知の事実ではないか。
私の住んでいる地域は比較的低地で、急激な雨が降ると下水管から水が溢れ出す。そしてしばらくするとスーと水が引いていく。「垂れ流したな」とすぐわかる。
下水道には、汚水と雨水を分けた分流式と一緒の合流式がある。現在は分流式が主流だか、古くから下水道が整備されてきた大都市を中心に合流式が残っている。大阪市では90%が合流式だそうだ。合流式は安上がりで高低差のない平地では下水管に溜まった汚水が雨水で洗い流されるというメリットがある。その反面、急激な雨水の流入には浄化できなくなる。大阪市では雨が降ると、洗い流されてきた汚物を沈殿させ、その上澄みの水を簡便な処理をして放流しているそうだ。結局BODの放流基準内に雨で薄められただけで、私たちが出した汚水は垂れ流し状態なのである。その結果、大阪湾のような閉鎖性水域の汚染が進んで赤潮の原因になっている。対策として一時的に貯める貯留池の建設や下水管を太くする工事が進められているが、費用が膨大でほとんど進んでいないのが実状だ。
今回改めて報道されたのは、地方から都市へ公共事業の配分を移すという、小泉首相が進める改革が絡んでいるのではないか、と穿った見方もできる。
とりあえず下水道があるから何でも流しても大丈夫という意識だけは改めたい。
<どんな水を飲んでいますか>
あなたはどんな水を飲んでいますか。水道水をそのまま、あるいは浄水器をつけて、いや飲むのはミネラルウォーターだけという人もいるだろう。
朝日新聞社の世論調査(2001.4.7付け)によれば、水道水をそのまま飲まない人が半分近くにのぼり、大都市住民、女性、若年者でその割合が高いという結果になった。その理由としては「おいしくない」という人が大半で、大阪府では84%の人が「おいしくない」と答えた。
淀川から取水している大阪府や大阪市の水は、長年カルキ臭い(水中のアンモニアと塩素が反応してできる臭い)といわれ、「おいしくない水」の代名詞だった。その対策として、塩素処理後にオゾンと活性炭によって、有機物を分解し臭いをとる高度処理を施すようになった。しかしこの世論調査からはその効果が現われていないということになる。
市町村は独自の水源の水と大阪府営水道からの水とブレンドして各家庭に送水している。大阪府営水道が高度処理したからといって、そのままの水が各家庭に届くわけではない。淀川沿いにある島本町は地下水が豊富であったが、大阪府営水道の水供給を受けることになった時、ブレンドを拒否する署名運動が拡がった。おいしい水がまずくなると拒否されたのだ。
厚生労働省では、さらに安全な水ということで「膜ろ過」を推進し始めた。これはセラミックや化繊でできた小さな穴のあいた膜に水を通すことで汚れや細菌をとるというもので、埼玉県越生町で集団感染を起こしたクリプトスポリジウムも除去できるという。しかし費用がさらにかかる。
また最近、浄水場から各家庭へ届けられるまでの送水管の問題が明らかになった。かつて加工しやすいということで普及した鉛管が今も残っており、その鉛が溶け出して体内に蓄積している。そうなると自己防衛として、浄水器をつけようということになるのだが、その手入れを怠ると逆の細菌を増殖させかねない。「安心な」ミネラルウォーターも水源地が汚染されたら、と考えると心もとない。
それではどの水を飲めば良いのか、という声が聞こえてきそうだが、すぐに健康被害を及ぼすような水は別として、それほど心配することはないのではなかろうか。水源地を知り、その周辺の環境を汚染されないように見守っていればいい。