石川

(滝畑四十八滝と滝畑ダム)

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荒滝  2001.12.2        滝畑ダム   2001.12.2

岩湧山の源流から滝畑ダムまで「滝畑四十八滝」といわれるほど多くの滝がある。その一つが荒滝。他にも稚児の滝、光滝、御光滝がある。滝畑ダムは河内長野市の水源と下流の治水を兼ねた多目的ダム。水質悪化を防止するために、水を循環させる機械が設置されている。

 

(流谷八幡神社の勧請縄掛け神事)

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2008.1.6

南海天見駅から歩いて約10分、流谷川に架かる朱色の欄干の八幡橋を渡ったところに流谷八幡神社が鎮座している。川幅2mほどの流谷川は天見川に合流し、石川、大和川へと流れていく。天見地方は「南天の郷」といわれ、境内には南天の赤い実が輝いていた。ここで毎年1月第1日曜日(以前は1月6日)に流谷川に勧請縄を掛ける神事(綱打祭)が行われる。1039(正暦3)年に1月6日に石清水八幡から勧請したことに始まり、橋がない時に綱で対岸へ御神体を渡したことに由来している。今では集落の安全や五穀豊穣を祈願して行われている。

早朝から境内で氏子らがモチワラを結って長さ60m超、直径10cmほどの太い縄と榊などのお飾りを結ぶ長さ7mほどの細い綱を13本(うるう年以外は12本)作られた。12時過ぎから始まった本殿前での神事の後、注連縄は橋上に運ばれ、川を挟んで柿の木と「勧進杉」に結ばれた。太い綱には「蛇の足」に見立てた榊や御幣が飾られ、橋下約10mを流れる川面へ垂れ下がっている。再び八幡橋上で神事が行われて終わった。

7月には川の水を汲んで湯立神事が行われる。それで使われる鉄製湯釜は1340(延元5)年の銘があり、大阪府の重要文化財に指定されている。

 

(天見川と石見川から石川へ)

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清水井戸       2002.10.23          おおそ柿の水         マス釣り場

天見川に並行して走る国道371号線(旧高野街道)にある清水井戸は、高野詣での旅人ののどを潤していたという。弘法大師が錫杖で地面を突いたところ地中から湧き出したという伝説が残っている。

天見川と三日市で合流する石見川の上流の小深に「おおそ柿の水」といわれる水場がある。その少し下流にはマス釣り場がある。

 

(金剛山湧水群)

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金剛の水 2002.10.10  山頂の神社防火水槽

 山頂の神社には雨水を貯めて防火用水としている。ふもとの登山道には水場がある。その一つが水越峠へ下る途中にある「金剛の水」だ。ここは奈良県御所市となっているが、水は河内へも流れている。江戸時代にはこの付近の水を巡って、河内と大和の農民が争った。

 

(石川河川公園)

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玉手橋       2002.11.27

富田林市の金剛大橋から柏原市の玉手橋までの河川敷一帯が石川河川公園とされている。地域の公園として8ヶ所整備され、自然観察ができる自然ゾーンも設けられている。サイクリングロードを走っていると、河川敷の変化がわかる。

 

(竹内峠から河内・飛鳥川)

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役行者の碑            井戸           2002.11.27

推古天皇の時代には難波と飛鳥を結ぶ官道であった竹内峠に、「役行者御霊泉」と刻印された石碑がある。水は流れていない。その横の宝篋印塔(ほうきょういんとう)には「元文四年」(1739年)の刻印がある。

街道に並行して流れる河内の飛鳥川沿いに、昔は多くの浅井戸があった。ふもとの生活用水とされていた。今は石組みの井戸が残っているが、排水が混じって濁っている。

 

(消えた「銀屋」)

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銀屋の碑2001.11.1    ありし日の銀屋の舟板  1997.3.4

 かつて羽曳野市の古市に江戸時代に両替商だった「銀屋」があった。その壁には廃船された剣先船の舟板が使用され、地域の観光スポットにもなっていた。それが2001年に宅地開発で取り壊されてしまった。向かいの広場にある三角碑に描かれた絵がその面影を残している。

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