<河内長野から狭山池へ>

 

石川・黄金橋〜諸越橋

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河内長野駅南出口を出るとすぐ石川だ。

遊歩道や石組みの護岸整備された中に、鬱蒼とした木々や巨岩剥き出しの水辺が残っている。

寺ヶ池公園

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面積10ha、水深29m、貯水量約60万t、灌漑面積約150haの灌漑用のため池だ。

1694年に開発された「市村新田」の灌漑用水用に広大な池に築造された。

丘陵地の尾根を自然の堤とした面影が今も残っている。

石川から導水した豊かな水で池は深みのあるブルーだ。

しょうぶ園や池の周辺に残る雑木林には散策路もある。

石川の源流となる岩湧山から金剛・葛城山系の山並みが遠望でき、その風景は「新河内長野八景」の一つとされている。

灰原池(河内長野市市町)

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千代田中学校の横にある。

池面には手のひら大のカメが浮かび、甲羅干ししている。

堤にある碑を見ると、築造されて約300年になり、昭和50年に中学校用地になって縮小した、とあった。

確かに地図を見ると丸い池がほぼ半割されたことが窺える。

R170・錦織大橋

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手前の道路沿いから石川が遠望できる。

錦織(にしこおり)公園

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羽曳野丘陵の南端にあり、その地形や大小多くのため池を残した公園だ。

かつての河内の里山を再現した「河内の里」には水車小屋がある。

「桜木の里」「梅の里」など四季折々の花が楽しめ、子供向けの遊び場もあって一日ゆったりと過ごせる。

寺ヶ池(富田林市寺池台)

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近世初期に築造されたそうだ。

堤には桜があり、公園も整備されている。

狭山神社(大阪狭山市半田1丁目)

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狭山池の守護神である狭山堤神社が合祀されている。

かつては旧さやま遊園内(現在は宅地)にあった松林に鎮座していたという。

狭山池

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洪水の防止を祈願して祀られた龍神社が池中に鎮座している。

1858年の改修で堤から移設され、かつては毎年6月の龍神祭りでは神職が船に乗って祭祀を行っていたそうだ。

池水は東除川と西除川(写真右)へと流れる。

副池オアシス公園

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大阪府立狭山池博物館

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建築家の安藤忠雄氏の設計で、3階から落ちる水の回廊を歩いて入館する構造になっている。

7世紀前半に築造された日本最古の人工のため池とされ、それ以来改修を重ねてきた堤の断層の壁が展示されている。

下池(大阪狭山市東池尻3丁目)

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1721年に狭山池の支配が幕府から狭山藩に移管された。

その陣屋がかつてこの付近にあった。

隣の東幼稚園内に「狭山藩陣屋西濠中池址」と樋門(石碑)がある。

 

(ポイント)

狭山池をはじめ、南河内では歴史のある大きなため池を巡るコースだ。

周辺の宅地開発に伴って里山やため池を活用した都市公園として整備されている。

羽曳野丘陵を横断するため起伏が多く、その丘陵の東側が石川、西側の泉北丘陵との狭間に天野川(西除川)が流れている。

等高線のある地図があれば、その浸食で大地が形成されたことを実感できる。

狭山池は羽曳野丘陵と泉北丘陵の谷筋を堰き止めて造られ、その堤は10mもある。

河内長野市の寺ヶ池も同様で、現代のダムにつながる土木技術や構造の歴史を知ることもできる。

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