<八尾南から東除川を歩いて藤井寺古墳群へ>
○大正川調節池(八尾市若林1)
公園と府道の地下に雨水貯留施設がある。
大正川は柏原を水源とし、八尾市亀井で平野川に合流する。
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○大和川右岸下の八尾南遺跡(八尾市若林町)
約7万年前のナウマンゾウの足跡や旧石器時代の石器づくり跡、弥生時代の水田跡が発見されている。
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○大和川・明治橋
以前の明治橋は数10m上流にあった。
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○東除川・大堀橋
落堀川と合流してこの先で大和川に合流していたが、大和川と西へ並流してから合流する川筋になった。
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○東除川・高鷲橋
東西の道は堺と大和を結んだ長尾街道だ。
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○雄略天皇陵(島泉丸山古墳)
冬鳥がいた。向かいには新池がある。
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○東除川・伊勢橋
昔の親柱が残っている。
東西の道は竹内街道だ。
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○落ヶ池(羽曳野市はびきの5)
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○仁賢天皇陵(ボケ山古墳)
6世紀に造営されたと推定される前方後円墳に濠(写真左)がある。
下田池と上田池に隣接している。
自然護岸整備された下田池(写真右)には冬鳥が佇み、堤から金剛山の山並みが見える。
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○藤井寺市野中配水場(藤井寺市藤ヶ丘4)
以前は浄水場もあったが、現在は受水した府営水道を周辺地域に配水している。
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○仲哀天皇陵(岡ミサンザイ古墳)
5世紀末に造営された、と推定される前方後円墳の南西部の濠に冬鳥がいた。
初夏にはハス華が咲き乱れるそうだ。
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○アイセルシュラホール
船形の建物だ。
隣接するため池から見ると、池面に巨艦が浮かんでいるようだ。
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○仲津姫陵(仲津山古墳)
濠はほぼ空堀だ。
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○允恭天皇陵(市野山古墳)
仲哀天皇陵より前の5世紀後半に造営された、
と推定される前方後円墳。
その東北部の濠にわずかに湿地がある。
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○大和川・河内橋
国土交通省大和川河川事務所で情報収集できる。
(ポイント)
狭山池から流れる東除川は都市化で水質が悪化している。
所々の川床にあるコンクリートの置石は薄層浄化施設だ。
その上で羽を休めるユリカモメがいた。
石器時代から古墳時代の歴史を探るのもいい。