初瀬川
(都祁水分神社の秋祭り)
2005.10.26
「大和四水分神社」の一つである都祁水分(つげみくまり)神社は木津川と大和川に分水する神(水分大明神)を祀っている。鳥居の横を流れている小川は木津川流域だ。
毎年10月に例祭の秋祭りが行われる。稚児などの乗る馬が3頭、天狗面の人、「水分大明神」や集落名の幟を掲げた人、そして最後に神輿の一行が稲刈りの終わった田んぼの中を巡行した。午後3時頃、宮入りして神事が行われた。
都祁村は2005(平成17)年4月に奈良市に編入合併された。「村」でなくなって村人総出の和気藹々とした「村祭り」も変わっていくのだろうか。
(三輪坐恵比須神社の御湯の神事(湯立神楽))
2005.2.7
幟などには「日本最初市場」と記されるこの神社は、「海柘榴市」の守護神として「つばいちえびす」と称えられて昔から商売繁盛を願って多くの参拝者で賑わった。毎年2月6日の初市では今年の三輪そうめんの価格が決められることから、海柘榴市の伝統を残しているとの説もあるほどだ。
御湯の神事は7日午後2時から営まれる。参道には薪で炊かれた8個の釜から湯気が沸き上がっていた。神官が祝詞を奉げ御払いしたあと御湯巫女が登場した。8個の釜に米、塩、酒の順にそれぞれ3回ずつ注いでいく。それを柄杓でかき混ぜて桶に汲まれた御湯が神殿に供えられた。それから両手に持ったクマ笹を釜に入れて上、横、下の順に両腕を大きく回して飛沫を飛ばした。これを浴びると厄除けになるそうだ。神事の後に残った湯は参拝者で飲みあった。
(大神神社の播種祭と御田植祭)
播種祭 2006.5.12 御田植祭 2005.6.25
大美和(おおみわ)の杜で毎年5月12日に「播種祭」が、6月25日に「御田植祭」が営まれる。
広さ60坪の「神饌田(しんせんでん)」には約10m四方の注連縄(しめなわ)が張られている。その前の祭壇で午前10時半から「播種祭」が始まった。祝詞の奏上など神事が行われた。田の四角と50p四方の苗代を米、酒、塩、神代でお祓いした後、4人の「田長」が苗代に鍬入れの所作をして籾種を播いた。水口には神札を飾った竹棒が立てられた。一連の神事の後、1×5mの苗代に籾種、灰が播かれ、三輪山からの清らかな谷水が水口から注ぎ込まれた。この早苗が6月25日の「御田植祭」で植えられる。
午前10時から「御田植祭」が始まった。祝詞奏上の後、「耕作の儀」で田に鍬を入れる所作が行われた。苗を田に撒かれると、「デンデン」と「田長」の打ちならす太鼓に合わせて白装束に赤や青の襷をかけた菅笠姿の11人の早乙女、田作男が一列ずつ早苗を植えていった。玉串が奉納された後、水口に同じく竹棒が立てられた。
五穀豊穣と農作業の安全を祈願した一連の神事は終わり、10月20日に「抜穂祭」が営まれる。
(酒まつりと薬井戸)
大神神社 2002.11.14 狭井神社の薬井戸 2002.11.14
毎年11月14日、酒の神が祀られた大神神社で「酒まつり」が行われる。その摂社狭井神社にある薬井戸は、昔から酒造りや薬の製剤などに用いられた。今でもその御香水を求める参拝者が多い。
(江包と大西の綱掛け祭)
桜井市江包 2000.2.11
毎年2月11日、綱掛橋そばの素盞鳴尊神社で「江包と大西綱掛け祭」が営まれる。江包では男綱、大西では女綱が造られる。神社鳥居前で「結婚の儀」が営まれ、綱が「合体」した状態で奉納される。
(村屋神社の御田祭)
村屋神社 2004.2.11
縁結び、家内安全の神が祀られた村屋坐弥冨都比売(むらやにいますみふつひめ)神社で毎年2月11日、五穀豊穣を祈願した御田祭が行われる。本殿前に田に見立てた3m、8mほどの「神田」で「あら田起し」「あぜぬり」「まんが」「苗取り」「田植え」などの神事が行われる。木製のクワやスキを使い、二人が胴と頭になった「牛」に扮して、松を束ねた「早苗」を用いて一連の所作が行われた。
この神社は別名「森屋の宮」と呼ばれている。初瀬川にかけて拡がる12000uにも及ぶ境内の森は「町(田原本町)の木」であるイチイガシの巨樹が林立しており、奈良盆地に残る広葉樹林層として県の天然記念物に指定されている。
(池坐神社の御田植祭)
御田植神事 2005.2.20 はせがわ展望公園
法貴寺大橋の左岸に鎮座する池坐朝霧黄幡比賣(いけにいますあさぎりきはたひめ)神社は、秦氏の氏神として崇敬される古社で機織(幡)の神を祀るとともに天満宮でもある。地名となった「法貴寺」は聖徳太子が秦河勝に賜った法起寺で、のちに改名されて明治期に廃寺された。今は不動明王が鎮座する千万院が残るのみだ。
毎年2月22日の近い日曜日に行われる。午前の神事のあと農耕神事は午後2時から始まった。本殿前の石柱に囲まれた砂場が「田」に見立てられている。その四隅を酒と塩で清められた。スキで筋を入れてクワを入れる所作がされ、地元住民ら10人ほどが並んで歩き、最後尾がならしの所作をして一周した。3人の女性が籾撒きをした。「牛使い」では時々暴れながらクワ入れとスキ掻きの所作をした。地元住民総出で松苗を植える所作をすると、周囲の参詣者に投げた。これを田に植えると今年の五穀豊穣になるということだ。普段着の神事だった。
本殿の背後(境内の東側)に初瀬川が流れているが、かつては西側に流れていた。1982年の洪水で付け替えられ、その川跡は「はせがわ展望公園」になった。周囲より高い歩道がかつての堤の面影を残している。