飛鳥川

(甘樫坐神社の盟神探湯神事)

飛鳥川左岸にある甘樫丘の北西麓に鎮座する甘樫坐神社で、毎年4月に「盟神探湯神事」が行われる。「盟神探湯(くがたち)」とは古代の呪術的裁判法で、熱湯に手を入れて真偽(正邪)を判定した。『日本書紀』には允恭天皇四(415)年にそれが行われたことが記されている。それに由来する神事として、豊浦・雷地区の氏子らが保存、継承して行っている。

午後1時半過ぎに本殿内で神事が行われた。境内に鎮座する「立石」の前には約3×5mの注連縄を張り、祭壇と湯釜が設けられた。湯気が沸き立つ湯釜に宮司が米、酒、塩を入れて清めた。祝詞奏上した後、竹笹を湯釜に付けて参拝者らを御払いした。今回だけの趣向ということで、来賓者と参拝者らは手を入れる代わりに竹笹を湯釜に入れた。竹笹が茶色になれば「偽(邪)」だということだ。古代の「盟神探湯」の寸劇も行われた。

msotw9_temp0 msotw9_temp0

2008.4.6

「盟神探湯」は「湯立神事」の源流とされている。実際に「盟神探湯」が行われたか疑問視する声もあるが、ルールを決めた社会の発展を示すものとされている。世界史上でも火や水を使ったこの種の「裁判」が行われて、次第に拷問へ転化していったと考えられている。

甘樫坐神社の祭神は推古天皇だ。隣接する向原寺は推古天皇の豊浦宮の推定地とされ、その境内からは掘立柱建物跡などが見つかっている。

 

(地黄町人麿神社のすみつけ祭り)

msotw9_temp0

2005.5.4

飛鳥川・地黄(じお)橋の西方の地黄町に人麿神社がある。そこで毎年5月4日、すみつけ祭りが行われる。豊作、家内安全、無病息災と子供の健康を祈願して、江戸時代から続く伝統行事で県の無形民俗文化財になっている。

午後3時過ぎ、町内の男児20人ほどがパンツ姿になって小さな境内に現われた。しばらくすると少し年長の男児5人が棒先に付けた綿を布で包んだ球状に墨をつけて、子供の全身に塗りつけていった。黒くなるほど豊作になるということだ。真っ黒になって喜ぶ子供がいる中、泣き出す幼子もいた。そして翌日の日の出前、寝食ともにした子供たちはワラで作った5mほどのトグロの巻いた蛇巻と牛馬や農具を描いた絵馬を神社の北方にある「野神さん」に奉納して一連の行事が終わる。

都市化や少子化など時代の変遷とともに祭事の様子も変わっているそうだ。しかしこの祭事を続けてきたことが伝統といっていいだろう。

 

田原本町矢部の綱掛)

msotw9_temp0 msotw9_temp0

巡行    2005.5.5

飛鳥川・農振橋の西方の矢部で毎年5月5日に綱掛行事が営まれる。

前日に造られたという綱は全長10mほどで綱の結い目にワラ束が結わえられていた。それを抱えた大人と子供総勢30人足らずの一行が伊勢音頭を流れる中、町内を練り歩いた。訪れた住民をその綱で巻いて今年の豊作や無事を祈願していく。その後、街角の二本の木に掛けられると、綱は5mほどのワラの暖簾のようだった。前日に造られたという牛の版画と鍬や鋤の模型がその前に奉納され、僧が読経して一連の行事が終わった。その模型は住民に配られるということだ。

 

(稲渕・栢森の勧請縄)

msotw9_temp0  msotw9_temp0

稲渕の勧請縄 2004.1.12 栢森の勧請縄と福石 2001.1.11

明日香村南部の稲渕と栢森地区で毎年一月、「稲渕と栢森の綱掛(カンジョ掛)神事」が行われる。

稲渕の神所橋では陽物(男性器)を形どった稲わらをぶら下げた「男綱」が掛けられる。約2km上流の栢森では女性器に見立てられた「福石」が鎮座し、それに結わえて「女綱」が掛けられる。稲渕では神式、栢森では仏式という違いがあるものの、どちらも「子孫繁栄と五穀豊饒を祈るとともに悪疫などこの道と川を通って侵入するものを押し止め、住民を守護するための神事」だという。

栢森では毎年1月11日の午後から綱作りが始まる。ビニールロープを芯に稲ワラを三つ網にして、長さ80100mの綱ができた。15時半過ぎに「女性器」のようにした綱を青竹で担いで飛鳥川へと出発した。「福石」の前で読経した法要の後、綱が掛けられた。

 

(飛鳥坐神社のおんだ祭)

msotw9_temp0

おんだ祭   2002.2.3

面を被った「天狗」「牛」「翁」が、舞台上で農作業の所作をする「御田植神事」が行われた。五穀豊穣が祈願されている。

その後、この祭りの本番といえる「婚礼の儀」が始まった。

「天狗」「お多福」「翁」が登場し、舞台上で性交を模した所作をする。それを「翁」が「見るな!」とでも言うような所作をする。境内は照れとおかしさが入り混じっているようだった。れっきとした子孫繁栄を祈願した神事である。

 

 (上品寺のシャカシャカ祭り)

msotw9_temp0

シャカシャカ祭     2002.6.5

近鉄八木駅より北へ歩いて10分のところの上品寺町(じょうぼんじ)で行われる。

蛇綱の胴は束ねた稲わらを綱で縛ったもので長さ五mほどだった。蛇頭はわらでできた鍋蓋のようなものを上下二つ合わせ、赤い布の「ベロ」がついていた。

大きなチマキを二つ乗せた台座を持った先導者に続いて、当屋の子供を先頭に小学生六年生から大きい順に男の子たちが蛇綱を担いで出発した。町を北南に往復した。その途中、溝で蛇が水を飲む所作をしたが、水が汚かったのが残念だった。そして集会所の南側の木に蛇綱を巻きつけ、拝礼して終わった。その様子は「蛇」が木を登って幹の間から顔をのぞかせて赤い「ベロ」を出しているようでユーモラスだ。

---

もどる