曽我川
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汁掛祭 2002.5.5 蛇綱曳き 2002.5.5
葛城川東側に位置する
蛇綱の胴部は約14mあり、所々に引き綱がつけられている。前日に造られた頭部には、竹筒の節を赤く塗った二つの目と紙で造られた舌があってユーモラスな表情をしている。
「蛇綱曳き」は太鼓を鳴らした青年部の若者を先頭に、大人も子供も入り混じって20数人が蛇綱を曳いていく。各家々では玄関や部屋内で太鼓を乱打した後、「ヨーイショ」と掛け声して蛇綱を三回大きく上下させる。休憩を挟みながら地区内を三時半ごろまで練り歩いた。
神社に戻ると蛇綱は境内の蛇塚にトグロを撒いた状態で据え置かれる。餅が撒かれて祭は終わった。餅は昨秋できたもち米でつくられ、その稲わらが蛇綱になっている。来年も祭が行えるように今年の豊作を祈願している。同時に蛇(竜)を神体とした雨乞いの祈願でもある。
(六県神社の子出来おんだ祭)
牛使いの神事 子出来の神事 2004.2.11
六県(むつがた)神社は曽我川沿いにあり、大和川と合流する手前に位置する小さな神社だ。毎年2月の夜に営まれる子出来(こでき)おんだ祭りは、藤原時代から伝わる五穀豊穣と子孫繁栄を祈願している。
小さな拝殿内に宮司、世話人、20人ほどの子供たちが車座になって神事が始まる。クワ、牛使い、施肥、土こなげ、田植え、タニシ拾いと一連の田植の所作を行う神事が行われた。所作ごとになぜか子供たちは所作した人を袋だたきにする。
夫役の宮司と懐妊中の妻役が向かい合い、「台本」にしたがって言葉を交し合いながら、胎児を模した小太鼓が妻役の腹からポロと出てきた。このユーモラスな神事は安産、夫婦和合を祈願している。
子供たちも参加する和気藹々とした一連の神事は理想の家庭を祈願しているのかもしれない。
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蓮取り行事 2004.7.7 巡行
周囲200mほどの捨篠(すてしの)池(弁天池)の半分に蓮が植えられている。午前10時から修験者らによる神事が始まり、蓮取り舟に乗って密生した蓮池に入り込んで、数束の蓮華の蕾が切り取られた。午前11時すぎからの巡行は役行者ゆかりの「産湯の井戸」がある善教寺を出発し、その母の刀良売(とらめ)の墓と伝えられる五輪塔へ向かった。その後捨篠池畔の弁天神社で護摩法要の後、吉野へ出発していく。
毎年7月7日、吉野山金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂の「蓮華会」(蛙飛び行事)に献ぜられる108本の蓮は、古くから
(ほうらんや火祭)
春日神社 2004.8.15
毎年8月15日、
それぞれの地区ごとに作られた松明を浴衣を着た10数人の住民で担ぎ上げる。着火されると燃え盛った炎を揺らめかせながら勇壮に境内を3周練り歩いた。松明はズンドウ型で竹葉、麦わら、菜種の殻などを青竹で巻き込まれている。最も大きい大松明で約300kgあるという。
(天神社の綱打ち)
天神社 2005.1.8
曽我川の左岸の
午後の地区では男女30人が集まってしめ縄を作った。完成したしめ縄を社殿横で年男を中央にして蛇のトグロのように巻きこんで綱を持ち上げた。こうして今年の年男と年女を祝い、一年の無事と豊作を祈願しているようだ。しめ綱は小さな鎮守の森を囲むように掛けられ、ほぼ中央で両地区のしめ縄を結び合う。両地区が参道と道路に掛ける綱の飾り付け方に違いがあるが、その理由ははっきりしない。「民俗学では○○」と何かと理由付けたりするが、それがわからずとも毎年続けていくのが伝統だろう。そんな素朴さが感じられる。
(葛木坐火雷(笛吹)神社の御田植祭)
2006.2.11
毎年2月11日、葛城山麓にある葛木坐火雷(かつらぎにいますほのいかづち)神社(笛吹神社)で今年の豊作を祈願する御田植祭が行われる。拝殿で祈年祭が行われた後、14時から始まった。
高台にある拝殿の石垣下に設けられた「田」は、四方10m足らずで注連縄が張られている。祭壇前で御祓いや祝詞奏上などの神事が行われた。田の四隅と中央を御祓いし、清めの水、紙吹雪が撒かれた。紙吹雪は「雨」なのかもしれない。その後、農耕の所作が行われた。四隅にクワなどを入れる所作をし、2人の氏子が扮した「牛」が鋤き掻きなど2回ずつ「田」を周った。そして杉の苗が「田」に撒かれた。
(鴨都波神社の御田植祭)
2007.4.1
「牛」を連れた一行が町の巡行を終えて境内に戻ってきた。注連縄を張った「田」で神事が始まった。一連の農作業の所作が例年の趣向とは変えて、ヒョットコとオカメ、そして「牛」らの寸劇調で進んでいった。続いて早乙女が早苗を植える所作をした。
(畝火山口神社の御田植神事)
2008.2.28
大和三山の一つの畝傍山の西斜面に鎮座する畝火山口神社は飛鳥・石村・忍坂・長谷・耳成の六山口神の一つとされ、毎年2月28日に祈年祭と五穀豊穣を祈願する御田植神事が行われる。午後1時過ぎから社務所内で「松苗」が作られる。祈年祭は2時から、御田植神事は3時から拝殿内でそれぞれ行われる。
「田」に見立てたムシロを敷いた拝殿内に、「ヒョットコ」の農夫、「オカメ」の下女、「天狗」と「牛」の面をした4人が登場する。「ヒョットコ」が鋤・鍬・馬鍬等の農具で整地し、「牛」を引くなどの一連の農業所作を行う。その最中、アドリブの口上を「オカメ」と掛け合う。「オカメ」から「神水」や「食事」をもてなされて一服休みする「間食(けんずい)」もある。そして宮司の田植え歌に合わせて「松苗」の田植えの所作で一連の神事が終わる。
(長尾神社のおんだ祭)
近鉄磐城駅から南へ約5分歩くと長尾神社がある。竹内街道、長尾街道、横大路が交差する交通の要衝地に鎮座し、その交通安全や旅行安全の神様として信仰されている。社伝には「水光姫命が応神天皇の御代に竹内村の三角岩に降臨され、子孫の加弥比加尼に命じて当地に祀られたもので、その姿は白蛇であって神社北東の御陰井に封じた」と記されており、その「御陰井跡」が社殿の北側にある。また伝説として、大和に棲んでいた大蛇が三輪山を三重にとり巻いて長尾までその尾がとどき、三輪明神(桜井市)が頭(大和高田市の龍王社が頭ともいわれている)で、長尾神社がその尾にあたるといわれている。
毎年3月4日に祈年祭とおんだ祭が行われている。おんだ祭は午後4時から学校帰りの児童らが本殿前にしめ縄を張った「神田」を囲む中で行われた。御祓いや祝詞奏上、玉串奉納などの一連の神事に続いて、一連の農作業の所作が行われた。「農夫」が連れた「牛」が暴れるほど豊作になるという。もみ蒔き、女児6人の「早乙女」が松苗を植える所作をした。最後の「御供(もち)撒き」では境内を埋めた大人も児童らで沸いた。