富雄川
(安堵町の南無手(なもで)踊り)
なもで踊り 2002.10.26
富雄川と大和川に挟まれた小さな町・安堵町のほぼ中央に、聖徳太子の飽波宮跡とされる飽波神社がある。小さな境内で開かれる秋祭りに併せて雨乞いの「なもで踊り」が奉納される。1756年(宝暦6)銘の絵馬が神社に残されている。「なもで踊り」は衣装、太鼓などの道具や歌詞本と含めて県の有形民俗文化財に指定されている。
大太鼓と「天つくつー天つくつー」と流れる雨乞いの音楽に合わせて、鳥居前で黒装束に身を包んだ20人足らずの人が鳥居前で輪になり踊り始めた。しばらくすると、鬼の面をつけ竹の杖を持った人が鳥居前で神事を行った。きらびやかな衣装の三人は小太鼓を叩きながら輪の外を大きく回りながら踊った。15分ほどで終わった。
なもで踊りは明治の頃まで雨乞いの願の成就を祝って踊られ、願がかなった程度に応じて、踊りも変わったそうだ。いつの間にか廃れてしまったのを、平成7年に町の商工会の尽力でおよそ100年ぶりに復活した。
水の乏しかった奈良県各地に雨乞いの踊りがあった。明治の近代化で非科学的とされたのか、あるいは吉野川分水で水不足から解放されたからだろうか。いつの間にか廃れてしまった。そして復活した。踊り手の顔ぶれを見ると高齢者が多い。再び絶えないことを願うばかりだ。
(小泉神社の御田植祭)
2005.2.11
午後1時から神事が始まった。御祓い、祝詞奏上などの後、本殿前に田に見立てられた約5×8mの神域で一連の農作業の所作が行われた。草刈り、畦作り、穴掘り、豆植え、そして牛を引いたから鋤では参拝者が上から牛に砂を掛けた。激しくなるほど水に恵まれ豊作になるという。続いて籾まき、3人の早乙女が松の苗を植える所作をして終わった。