<王寺から斑鳩の里、大和郡山へ>

 

大和川・昭和橋

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王寺町の中心街をよけるように流れは大きく右へ蛇行する。

昭和57年の洪水ではその町が浸水した。

竜田川・竜田大橋

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平安歌人らに詠われた紅葉の名所だった。

橋下を見るとコイが群れているものの川水はドロンとしている。

龍田神社

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かつては商家や旅籠が軒を連ねていた奈良街道沿いにあり、その趣が今も残っている。

三郷町にある龍田大社の分霊を祀り、風雨を鎮めて水難や疫病を防ぎ、五穀豊穣を祈願している。

聖徳太子が法隆寺を創建した際、鬼門となるこの地に守護神として創建されたと伝えられている。

桜池

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龍田神社から北の方に歩いた所の子守神社のそばにある。

法隆寺

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境内に弁天池と鏡池(写真)がある。

天満上池・下池

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下池の堤から法隆寺の五重塔や木造建物群の屋根が望める。

三井

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「三井」の地名の由来ともなり、

聖徳太子が掘ったと伝えられる三つの古井戸の一つで史跡に指定されている。

深さ約4.24m、口径約0.9mで石積みの井筒で4枚の平石を組んだ井戸枠だ。

中を覗き込むと約1m下に水面が見えた。

法輪寺の隣接地でもう一つの井戸跡が発見されたそうだ。

斑鳩溜池

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県営のかんがい用の溜池だ。

矢田丘陵の南麓にあり、池の北側は広大なゴルフ場だ。

小白水(こはくすい)(大和郡山市小泉町)

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出屋敷交差点を少し越えた県道沿いに石碑と最近整備された石製の井戸枠がある。

その中は白の玉石が敷かれて水はない。

案内板によれば、「小泉」の地名の由来ともなり、昔は水量豊かで山麓の用水として大切にされた。

江戸時代には片桐(小泉)藩主が茶の湯に用いたという。

薙刀(なぎなた)池とお庭池

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江戸時代の片桐城(小泉城)の外堀跡とされ、南西に延びる細長い池だ。

一つは(財)高林庵(石州流茶道宗家本部)の裏庭の池となっている。

慈光院の蓮池

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富雄橋の北西角にある池で、慈光院の借景となっている。

九頭上池(くずかみいけ)

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堤は四季ごとにゾーン整備され、浮見堂や噴水施設がある。

小南神社(大和郡山市小南町)

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「古くから雨乞いの神として崇敬され、元治元(1864)年と大正2(1913)年の

干ばつでは大変ききめがあったと伝えられている」と神社の略記に記されている。

隣接する新池の堤からはこんもりとした鎮守の森が見える。

洞泉寺(とうせんじ)(大和郡山市洞泉寺町)

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境内の小さな堂内に地蔵と臼のような「湯槽石」が安置されている。

仏に供える水を入れ、光明皇后が病人の治療に用いたといわれている。

外堀緑地公園

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かつての郡山城の外堀を再現している。

 

(ポイント)

斑鳩町内では奈良街道や当麻寺と結んだ当麻街道の旧街道の趣が残っている。

世界文化遺産の法隆寺周辺は風致保全地区に指定されており、「自然散策うるおいの道」が整備されている。

一方で大和郡山市では宅地開発が進んで交通の往来も激しい。

ルート上に残るため池の景観の違いを見ると、自治体の法的規制も景観づくりに大切なことが示されているようだ。

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