<川西町結崎から馬見丘陵、香芝市五位堂へ>
○横田池
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○糸井神社
天保13(1842)年の墨書銘の絵馬が拝殿に奉納されている。
それには雨乞いなどの祈願が成就して踊られた太鼓踊り(いさみ踊り、なもで踊り)の様子が描かれている。
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○寺川・宮前橋
能楽の祖である観阿弥ゆかりの「面塚」の石碑がある。
上流は桜並木だ。
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○杵築神社(三宅町屏風)
聖徳太子が弓で地を掘ると冷水が湧出したという「屏風の清水」がある。
今は枯れて50cmほどの木の井戸型の中に石があるだけだ。
聖徳太子が飛鳥から斑鳩へ向かった「太子道」で、付近にはそのゆかりの史跡が多い。
白山神社には「腰掛石」がある。
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○受堤の跡
海抜43mと奈良盆地の低地にあるため、環濠集落を巡っていた支濠の氾濫を防ぐ受堤があった。
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○杵築神社(三宅町伴堂)
おかげ参りや明治18〜20年の伴堂池築造の様子が描かれた絵馬が拝殿に奉納されている。
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○伴堂池(ともんどいけ)
堤高4.5m、堤長0.9km、有効貯水量60800立方mの灌漑用ため池。
明治18年に寺川からの導水だけでは日照りに対応できなくなって造営された。
養魚池としても利用され、堤は農村地域環境整備事業で親水整備されている。
池は京奈和自動車道の高架道路の建設で少し狭くなったようだ。
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○飛鳥川・船つき橋
かつては飛鳥川の船着場がこの付近にあった。
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○「なつめ堤」の跡
飛鳥川と曽我川の間の集落を洪水から守る
「なつめ堤」といわれる受堤が南北にあった。
その一部が小さな公園になっている。
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○曽我川・的場橋
平時は体長30cmを超える魚の背びれが見えるほどの浅瀬だ。
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○奈良県立広陵高校
大和川総合治水対策の一つとして、
校庭が一時貯留浸透施設になっている。
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○葛城川・枯木橋
河川敷に菜の花(セイヨウカラシナ)が咲いていた。
周辺には「弁財天」の地名が多く、橋のたもとに「的場弁財天」の小さな祠がある。
「弁財天」は日本では学問や芸術の神様とされているが、
インドでは河川の神や水の女神とされている。
水辺に祀られることが多いのもそのためだろう。
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○高田川・おんどり橋
下流の両堤は桜並木だ。
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○馬見丘陵公園
古墳が点在する丘陵地を保全しながら整備された公園。
3か所のエリアごとに池がある。
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○竹取公園
「龍」のいる池がある。
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○今池
新木山古墳の濠の一部。
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○素粉池(広陵町三吉)
極楽寺に隣接したため池。
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○干刈池(広陵町三吉)
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○西法寺池(広陵町疋相)
堤に桜が咲き、竹林が残っている。
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○八幡池(広陵町平尾)
広陵西第二幼稚園に隣接する小さなため池。
ここから西へ少し歩くと竹林が残り、通り抜けると新興住宅地に出る。
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○広陵町水道局真美ヶ丘配水場
真美ヶ丘第一小学校の裏にある。
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○ハス池(香芝市別所)
二上山から葛城山系の山並みが一望できる。
(ポイント)
「川西」とは大和川本流(初瀬川)の西側、とされている。
また「三宅」とは天皇の御料地である屯倉・屯田に由来し、『万葉集』に詠まれた「三宅の原」と考えられている。
これらの地域は奈良盆地の標高40〜80mの平坦な地底部で、洪積世には湖沼状態であったと推定されている。
竹林が多く残る広陵町は「かぐや姫のまち」を名乗っている。
しかし宅地開発で最近は竹林が少なくなっている。
香芝市でも宅地開発が進んでいる。
奈良盆地中央部の低地から西方の丘陵地へ登っていくコースは「おとぎ話」から現代の話へ展開していく物語のようだ。