<平野から狭山へ中高野街道を歩く>
○平野郷環濠跡
杭全神社の境外の東側にある「せせらぎ」は環濠の名残だ。
平野川は古代には大和川の本流とされていた。
江戸時代には柏原船が平野を経由して柏原と大坂・京橋を往来した。
大和川の付替え以降、水量の減少で次第に衰退した。
現在は著しく汚濁している。
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○河骨口地蔵(平野区平野宮町2)
かつてはこの周辺に柏原舟の船溜まりがあった。
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○平野川・樋之尻橋
毎年7月11日、杭全神社夏祭りの始まりの「神輿川行(足洗い)神事」が橋の袂の「お祓い所」で行われる。
かつては川原に並べた台座に置かれた神輿の足を洗ったそうだ。
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○「平野の黄金水」
平野公園の一角に蓋のされた円型の井戸がある。
水質に恵まれたこの井水が平野郷の命の水になった、と碑に記されている。
ため池を埋め立ててできた公園内にあるコンクリートで固められた小さな池も環濠の面影だ。
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○全興寺
不動尊が鎮座する金魚のいる池や小さな蓮池がある。
四国八十八か所の仏像が一同に鎮座する「ほとけのくに」には水禽屈の水の音が響いている。
「涅槃仏」にはお釈迦様の寝姿をした石が水の中で浮かんでいる。
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○大和川・高野大橋
中高野街道筋にあった旧高野大橋は200m上流にあった。
その橋杭が残った写真が親柱に展示されている。
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○屯倉(みやけ)神社
菅原道真公を祭神とする境内に梅の木や、石橋の「みかえり橋」のある小さな池がある。
境外にしょうぶ園がある。
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平成14年に井戸水の浄水が休止され、松原市の自己水はなくなった。
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○海泉(かいずみ)池
周辺に多くある郡池の一つだ。
「池底に湧水があり、海のように大きい池」と誉れたことから名付けられたそうだ。
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○西ヶ池(松原市田井城5)
田井城集落の環濠跡を偲ばせている。
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○田坐(たざ)神社
田の中に神が祭祀されていることから社名になったそうだ。
その一面に広がっていた田畑も開発で虫食い状態だ。
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○田井城今池親水公園
噴水のある池には冬鳥が戯れていた。
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○「中門の堰樋」
長尾街道沿いの歩道には約100mの水路が整備されている。
今井戸川から大海池用水となる堰樋で「分量石」があった、と案内板に記されている。
当時の水管理の様子がうかがえる。
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○「阿保茶屋」の碑
江戸時代には長尾街道との交差点に、
往来者の休息場所になった茶屋があった。
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○「丹比大溝」跡(松原市上田町3)
駅前の「ゆめニティまつばら」の裏にある。
付近の上田町遺跡の一角から幅約10m、深さ約3m、延長100mのV字型の溝が確認された。
7世紀後期に掘られた「丹比(たじひ)大溝」の一部で、東除川と西除川を東西に流れた灌漑、舟運用の人工水路と推定されている。
その名残の用水路は埋め立てられた。
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○鯉野池オアシス広場
中の島のある池は市民の憩いの場になっている。
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○竹内街道交差点(松原市岡5)
江戸時代には往来者の休息場所になった茶屋があったそうだ。
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○「松川長右衛門」の碑(松原市丹南4)
江戸時代の元禄年間に付近に用水路を建設した尽力を称えている。
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○今池(松原市丹南4)
水面上の一部に町会の施設がある。
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○黒姫山古墳
濠がある。
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○芋池
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○舟渡池公園
園内を流れる修景水路は池に注いでいる。
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○大鳥池(大阪狭山市東池尻5)
「PLの塔」や金剛・葛城の山並みが望める。
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○太満池
(ポイント)
中高野街道は平野から松原、狭山を通り、河内長野市楠町東で西高野街道と合流して高野山へと至る。
平野や松原の歴史を学びながら歩くのにもいい。
堺市と合併した旧美原町には高速道路や宅地開発が進んでいる。