<上ノ太子から竹内峠へ河内飛鳥を巡る>
○飛鳥戸(あすかべ)神社
ブドウ畑やミカン畑に囲まれた小さな神社だ。
飛鳥大神(百済の昆伎(こんき)王)を祭祀している。
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○飛鳥川・新飛鳥橋と太子中央橋
昨年に開通した南阪奈自動車道の建設に伴い河川整備された。
上ノ太子駅前の太子中央橋(写真)は朱色の欄干で、『万葉集』にも残る河内の飛鳥川の歴史を感じる。
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○清泉壺井
河内源氏・頼義が前九年の役(1051〜63年)で飲料水に困った時、弓の先で崖を突くと水が湧出して救われ、その水を壺に入れて持ち帰って沈めた、という伝説がある。
石清水の神を勧請して建てられたのが壺井八幡宮の始まりといわれている。
かつては生活用水にもされたそうだが、今では石組みの井形に藻の生えるたまり水になっている。
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○太井川・松本橋
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○泥掛地蔵
地蔵堂の背後に小さな枯池がある。
聖徳太子がそこから光るものを見つけて安置された、と伝えられている。
腫れ物や痛みに霊験があるとされ、かつては池の泥を患部にあたるところを地蔵に塗って祈願し、あるいは叶えば塗る風習があったそうだ。
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○太井川・仏眼寺橋
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○更川・倉掛大橋
橋下は谷で幅1mもない川筋に沿って田んぼが広がっている。
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○科長神社
社殿背後を流れる谷川に「八精水(やせみず)」といわれる湧水がある。
刀剣鍛冶の当麻氏が刀剣を鍛えるのにこの水を始めて使用した、息長氏が鉄分の多い水から砂鉄を採集した、と伝えられている。
山間の町では珍しい舟形の山車が夏祭りで繰り出される。
江戸時代にこの地で製油業を営んだ商人が古市から大坂まで舟運を利用したことに由来しているそうだ。
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○後屋池
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○飛鳥川・山田橋
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かつて竹内(たけのうち)街道沿いに生活用水とした浅井戸が多くあった。
その名残の石垣の「井戸」は排水で濁っている。
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○大日池
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今は枯れているが、かつては峠を越える人ののどを潤したのだろうか。
(ポイント)
河内飛鳥は大和の飛鳥の「遠つ飛鳥」に対して「近つ飛鳥」といわれ、聖徳太子ゆかりの史跡などが多い。
その周辺は「河内ふるさとのみち」として整備されている。
竹内街道は『日本書紀』に残る日本最古の官道とされ、難波と飛鳥を結んでいた。
峠から街道にほぼ並行して流れる河内の飛鳥川は石川に合流する。