<飛鳥の里をめぐる>
○欽明天皇陵
全長140mで明日香村内では最大の前方後円墳。
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○飛鳥川・高市橋
川の流れの上に吉野川分水の導水管がある。
農繁期になると水が流れる。
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○冬野川・祝戸(いわいど)橋
多武峰を水源とし、飛鳥川に合流する。
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義淵僧正が法力で悪龍を小池に閉じ込めたという伝説がある。
それが今も残る「龍蓋池」だそうだ。
豊かな水を湛えた「瑠璃井」がある。
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○伝飛鳥板蓋宮跡
7世紀頃には代々の天皇が飛鳥に宮を構えた。
その中で唯一遺構として保存され、井戸跡(写真中央)がある。
北西から飛鳥川の右岸にかけて「飛鳥京苑池」の遺構が確認された。
中の島とその渡り堤のある水を湛えた庭園で宴が催されたようだ。
残念ながら今は埋め戻され、その姿を偲ばせるものはない。
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○酒船石
亀形石造物のある崖上にある。
長年その用途をめぐって論争されてきたが、
亀形石造物の発掘でそれと一体の流水遺構との見方が有力になっている。
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流水施設の一つとされている。
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富本銭などが発掘された飛鳥池遺跡は古代の金銀銅の工房跡だ。
階段状に並んだ槽で精錬し、沈殿させる浄化施設があった。
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○飛鳥坐(あすかにいます)神社
鳥居下に「飛鳥井」がある。
平安時代の催馬楽に謡われ、飛鳥の三名水の一つだった。
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○水落遺跡
日本最初の漏刻(水時計)の遺跡が発掘された。
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○飛鳥川・甘樫橋
歴史景観を活かした水辺づくりが行われ、多くの石が使われている。
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○難波池
小社のある小さな池だ。
『日本書紀』に記される「難波の堀江」で、廃仏派の物部尾興が仏像を投げ込んだとの伝承がある。
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○甘樫坐(あまかしにいます)神社
古代の熱湯に手を入れて真偽を判定した
「盟神探湯(くがたち)」に由来する神事が春に行われる。
(ポイント)
石を用いた遺構が多く発掘されたことから
古代の飛鳥は「石の都」といわれている。
同時に流水を利用した遺構も多く「水の都」でもあった。
春の桜、夏の棚田、秋の彼岸花、冬の雪化粧と四季折々の風景を楽しみながら古代の飛鳥を想像できる。