新大和川 堺へ
西除川放水路
2004.8.17 堺市常磐町
増水すれば空気が抜けるゴム式の堰から大和川へ直接放水される。
昭和57年、西除川下流の松原市北部と堺市北部(浅香周辺)が水害に見舞われた。
付け替えは新大和川の南側(左岸)に負の遺産として水害をもたらした。
放水路の完成で被害が軽減した。
堺市浅香山浄水場
2004.4.28 堺市
毎春、堺市浅香山浄水場で「大阪みどりの百選」のツツジの通り抜けがある。
かつてはここで堺市の上水道として大和川の水を浄水していた。
しかしもともと水量が乏しかったのと昭和30年頃からの水質の悪化で昭和53年に浄水は停止された。
チンチン電車
2004.8.14 堺市
大阪に唯一残った路面電車である阪堺電車は大阪(恵比須町と天王寺)から大和川を越えて堺(浜寺)と結んでいる。しかし経営難から堺市内の廃止が検討されている。
この風景も守るために、堺の市民と行政が一体となって支援活動を始めている。
大和川のお渡り
2004.7.31 大和橋下
付け替えから1960年頃に中断されるまで、人が神輿を担いで大和川を渡っていた。
付け替え300周年を記念して、約45年ぶりに「大和川のお渡り」が復活した。
長さ9m、800kgの神輿が川中で住吉から堺の担ぎ手へ引き渡され、水を掛け合って祝した。
堺大魚夜市
2004.7.31 浜寺公園
(お詫び)
写真は非公開
にしました。
鎌倉時代に航海の安全を祈願して堺の漁師が住吉大社に魚を奉納した後、住吉大社の神輿を堺にお迎えして「市」を開いたのが「堺大魚夜市」の始まりといわれている。
昭和49年から中断されたが、昭和57年に復活した。
平成15年から浜寺公園に場所を移してさらに盛大になった。
アジサイ
2004.5.29 三宝下水処理場
6月になると場内はアジサイで咲き乱れる。
付け替え後の宝暦年間に3つの新田が開発されたことから「三宝」という地名が残った。
環濠
2004.6.5 堺市大浜北町
中世の堺は会合衆が治める自治都市で、町を守る環濠を巡らしていた。
付け替えに伴う大和川からの土砂の堆積は堺の町並みも変えていった。
その名残が中心街を流れる内川と土居川だ。
水質が悪化し荒れていたが、下水道整備と修景整備が進んで市民の憩いの場となった。
マリーナ
2004.6.5 出島漁港
毎週土日に「とれとれ市」が開催されている出島漁港にも新旧交代が始まっている。
数年ぶりに訪れた漁港の一角にはヨットが係留するマリーナが進出していた。
旧堺港
2004.6.5 リーガロイヤルホテル堺
付け替えによる新大和川からの土砂の堆積で、堺港の港湾機能は著しく低下した。
昭和33年に始まった埋め立てで海岸線はさらに遠くなった。
内港となり小型船が停泊するだけとなった旧堺港は修景整備され市民の憩いの場となった。
旧堺灯台
1998.5.17 堺市大浜
大浜公園の一角にある旧堺灯台は日本で最古の洋式の木製灯台として明治10年に築造された。
戦後の埋め立てで海岸ははるか遠くになり、機能を失って昭和43年に廃灯された。
現在、整備中で平成18年に新たな姿を現わす。
海とのふれあい広場
2004.5.29 新日鉄堺埋立地
昭和33年から重厚長大産業用地として造成された埋立地には、産業構造の変化で遊休地が広がっている。
新日鉄の跡地にはマリーナや公園が整備された。
映画などのアミューズメント施設の誘致も予定されている。
広場の沖には人工干潟の造成が計画されている。
「環境の時代」となった。
海から
2004.8.14 大和川沖南防波堤
河口の沖にある防波堤が堺の最西端だ。
目前の対岸(堺第7-3区)はこんもりと盛り上がっている。
その右手には「みなと堺グリーンひろば」の風車が小さく見える。
その背後には工場や焼却場の煙突が遠望できる。
堺市街地の建物はほとんど見えない。
はるか遠くなった海岸線を実感する。