<唐古・鍵遺跡から纒向古墳群へ>
○新池(三宅町石見)
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大和川の舟運が栄えた近世には、「今里浜」と呼ばれる船着場があった。
今では季節によっては断流し、その頃の面影はない。
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杵築神社(田原本町今里)境内の木に巻き付けられた蛇綱は、頭を上にした「昇り龍」だ。
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八坂神社(田原本町鍵)境内から少し離れた街角にある蛇綱は、頭を下に据え置いた「降り龍」だ。
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○唐古池
周辺一帯は唐古・鍵遺跡で、弥生時代には環濠のある「ムラ」があった。
池から出土した土器片の線刻画をもとに復元された「楼閣」が、その頃を偲ばせる。
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1982年の洪水で付け替えられた川筋が、そばに鎮座する池坐神社の西側から東側に変わった。
その川跡が公園になっている。
周囲より高い歩道がかつての堤の面影を残している。
池坐神社では毎年2月に御田植祭が営まれている。
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○しきのみちはせがわ展望公園(田原本町平田)
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毎年2月11日に「江包と大西綱掛け祭」が営まれる。
江包で男綱、大西で造られる女綱を合体させる
「結婚の儀」は一見の価値あり。
素盞鳴尊神社に奉納された後、橋に掛けられる。
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○勝山池
古墳時代前期築造で全長約110mの纒向勝山古墳の濠跡の一部で、逆台形に変形している。
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○纒向石塚古墳
最近、馬蹄形の周濠であったことがわかった。
その跡には紫のカキツバタが咲いていた。
隣接する纒向小学校の校庭からは「纒向大溝」が発掘され、古墳時代初期に掘削された舟運用の水路とされている。
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○大池
邪馬台国女王・卑弥呼の墓といわれる
全長約280mの箸墓古墳の濠の一部になっている。
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○巻向川・不動橋
隣接する西池から川へ注いでいる。
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○北池、弁天池
巻向川を挟んで北の北池、南の弁天池がある。
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○巻向川
この流れが造った肥沃な扇状地がこの地の歴史を築いた。
隣接する国津神社の境内には小社が鎮座する池がある。
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○小池・丸池
北側の小池は茅原大墓古墳の濠の面影がある。
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○若宮社
境内に小さな池がある。
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○新池
(ポイント)
弥生時代の唐古・鍵遺跡と古墳時代の纒向遺跡の歴史の「流れ」をたどれる。
周濠はもとより田畑に埋没している古墳も多くある。
今も水を湛えるかつての「周濠」は、かんがい用として重要だった。
現在では吉野川分水でその活用も減っているようだが、自然環境の維持や景観、環境用水として必要性が高まっている。